「原稿執筆にあたって」

「会報に載せる原稿を書いてくれませんか。内容は,趣味の話でも法律の話でも,何でも構いません。」

 同期の渡邊先生より突然の原稿執筆依頼を受け,この原稿を書くことになった。しかし,何を書いたらよいものか,さっぱり分からない。何でも良いというのがある意味一番たちの悪い注文である。趣味の話とは言っても,私には人様の前で自慢できるような趣味など何一つない。仲間内でバスケットをやっていたこともあるが,それは遠い過去の話で,現在の私は,いかにウエストに巻かれた自然のチャンピオンベルトを外したものか,四苦八苦するほどの運動不足である。また,弁護士会会報に,法律の話を書けるような知恵も度胸もない。そんなことをすれば,皆から何をつっこまれるか,分かったものではないではないか。

そのような訳で,筆が一向に進まない。約束していた締め切り期限は2週間以上も前に過ぎている。どうにかしなければと,渡邊先生から見本に送って頂いた,過去の作品を読んでみる。 ……読まなければ良かった。何故自分はこの様な大役を引き受けてしまったのか。今更ながらに自分の軽率さが悔やまれる。

大体にして,自分には自由文章を書くなどといった文学的才能は一切無いのだ。いや,それのみならず,字を書く,絵を描く,芸術作品を愛でる,音楽を聴くなど,文学・芸術部門に関する興味・才能が全くないのだ。昔から,美術や音楽等の時間は苦痛で仕方がなかったのだ。写生会などでも,自分では絵を描くことが出来ず,結局は毎回親に描かせていたほどの強者である。図工・技術でも,友人に作ってもらったり,親に作ってもらったりしていた。さすがに読書感想文などは自分で書いたが(本を読むこと自体は嫌いでない。),習字を周囲の人間に書いてもらったことは何度かあった(なお,親もさすがに心配したのだろうか,1年間ほど習字に通わされたこともあったが,周囲も驚くほどに上達のないまま,辞めてしまった。)。音楽会での合唱は,いつも口パクだった。そうやって,周囲の人間に多大な迷惑をかけ,依存しつつ成長してきたのである。

だが,ここで声を大にして言いたいのは,私は決して,絵を描かなかったり,作品を作らなかったわけではない。私は,絵が描けず,作品を作れなかっただけなのだ。私がこの様に主張すると,周囲の人間はいつも不思議そうにした。絵が描けないなんてことない,描く気がないだけだろうと。しかし,本当に描けなかったのである。白い画用紙に,目の前にある風景を描きなぞっていくという行為が,どうしても出来ずに,一本線を引いては,それを消しゴムで消すという行為をいつも自然に繰り返してしまうのである。しかし,周囲の人間はどうしてもそれが理解できなかったようである。思えば,私はこのころ,自分のことを人に理解してもらえないのは何てつらいことだろう,やりたくもないことを強制させられるのは何てつらいことだろう,ということを考えるようになった気がする。

そう言えば,「他人の理解」ということから考えて,一つどうしても納得の出来ないことがある。あれは,私がまだ幼稚園年少のことだったと思うが,母親と一緒に病院で診察を待っていたことがあった。診察待ちが1時間以上も続き,私は大変のどが渇いてしまい,母親に,「冷たい飲み物を買って欲しい。」と頼んだ。母親は,「じゃあ,次の問題が分かったら買ってあげる。」などと言い,問題を出してきた。「ここに10円があるよね。これに10円を足すと20円になるよね。これに10円を足すと…(中略)…90円になるよね。じゃあ,これに10円を足すといくらになる。」,と。私はその時,分かった,と言い,元気よく「じゅうじゅう円。」と答えた。母親は,違うと言い,何度も問題を繰り返したが,私がその度に,「じゅうう円。」とか,「じゅうじゅう円。」と答えたため,母親は次第に怒り始め,結局答えを教えないままに問題を出すことをやめてしまった。なお,飲み物を買ってもらえなかったことは言うまでもない。

私は,今なら母親の問いに対して,自信を持って「100円。」と答えることが出来る。それでも,今なお思うのだ。あれは母親の問題の出し方ないし教え方に問題があったのではないか,と。大人にとって,繰り上がりという概念,あるいは100の位という概念は極めて当たり前のもので,説明するまでもないものとなってしまっている。しかし,子供にとってはそうではない。繰り上がり等を理解していない子供にとっては,「はち じゅう円。 きゅう じゅう円。」ときたら,次は「じゅう じゅう円。」なのである。もし,100の位,あるいは繰り上がりという概念を教えようと思ったら,「きゅうじゅう なな円,きゅうじゅう はち円,きゅうじゅう きゅう円ときたら,次は。」というところから,根気強く教えなければならないはずである(もちろん,それでも「じゅうじゅう ぜろ円。」などと答えるかもしれないが。)。

私がこの様な話をするのは,当然のことながら,今更母親のことを弾劾するためではない。人が,いかに「自分の常識」を前提に,それを「他人が理解」できるはずだと思いこみやすいか,そして,他人の言動が「自分の常識」から外れたときに,いかに「他人を理解」する努力もせずに,行動しやすいか,ということを言いたかっただけである。

しかし,ここで振り返って考えてみる。果たして,今の私自身はどうだろう。「自分の常識」の枠に,他人を無理矢理当てはめていないだろうか。私は本当に「他人を理解」するために,努力しているのだろうか。弁護士である以上,依頼者,被告人の言い分・気持ちを理解することは必要不可欠である。もちろん,それに流される必要はないが,少なくとも依頼者,被告人の思いを理解しなければならないであろう。弁護士登録をしてから,もうすぐ1年半がたとうとしている(平成18年2月現在。)。日々の業務の中で,少なからず当たり前のようになってしまっている部分もあるかと思う。もちろん,そのこと自体が悪いことだとは思わない。しかし,それを他人におしつけてないか,それが他人の理解の妨げになっていないか,改めて考えなければならないと思う。

当初から述べているように,私は自由文章を書くのが苦手であるし,読み返してみても,何を書いたのかもよく分からない。万が一再び原稿依頼があったとしても,今度こそはっきりと断るであろう。しかし,この文章を書くにあたって,色々と考えさせられるところがあり,そのことは自分にとって良かったのではないかと思う。今後原稿依頼があった方へ。引き受けても損はないと思いますよ。

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